先日、小沢健二の製作した映画『おばさんたちが案内する未来の世界』を見る集いに行ってきた@大名のROOMS。この映画に本人が語りと演奏をつけるのだ。
小沢健二だよ、小沢健二。フリッパーズギターが出てきたとき、田舎の学生だったわたしは渋谷がどんな街かも知らず、なんかこの初めて聴くタイプのおされな音楽、つくっている人は本当に実在するのかなあ?エイリアンかアンドロイドか?いや、かわいい顔をした皮肉屋さんじゃないか。そう思っていた。でも、田舎の中学生というのは、ライブを見に行くとかそういう発想は思い浮かぶはずもなくて、まったく別の惑星の出来事のようだった。
おとなになって、飛行機に乗ってライブ見に行くなんて遊びを覚え始めたころには、小沢くんはシーンからすっかり姿を消してしまっていた。あこがれは、まぼろしにすりかわった。
その小沢くんだよ?
同じ日にコレクターズのライブがあったんだけれど、加藤くんは(まあめったにはこないけれども)年一回のペースで福岡にきてくれる。小沢くんをこの自分の目で見るのは、これが最初で最後かもしれない!そういう思いで、誘ってくれた友だちとROOMSに行った。
前情報は何も仕入れておらず(というよりも、どこを探してもそれらしい情報は手に入らない)、自分で作った映画の上映を、生演奏と語りを交えておこなう、それだけだった。
開場を待つひとたちの並びのすぐ脇を、本人が通って会場の中に入っていった。小沢くんだ・・・!やだ、どうしよう、全然、全然むかしと変わっていない!!!元祖王子系だの言われていたころと、変わっていない。むしろ、メディアへの露出をいっさいおこなっていないだけ、よりいっそう澄んだ雰囲気をただよわせている。目から浄化された。
さて、映画の上映。小さなスクリーンの両脇にそれぞれテーブルといすが用意されて、上手に小沢くん、下手にエリザベス・コールが座り、ちいさなギターに似た民族楽器を小沢くんがあやつり、エリザベスが語り、小沢くんが語る。それは、とてつもなく壮大な問題提起の連続する映像だった。南米に焦点をあてて、そこで起こっている貧困や環境汚染、それは消費大国(アメリカや日本や・・・)によってもたらされているものなのだ、ということ。
小沢くんは、『灰色』という言葉を使って、巨悪の側を表現していた。その巨悪が作り出すものは携帯電話にiPod、、、さまざまな石油製品、らしいのだった。
3時間に及ぶその映画の上映に、私はとてもショックを受けた。南米の問題を知らないで日本でのんびり暮らす私は巨悪か?西鉄バスに乗り、iPodから流れてくる音楽を聴き、携帯でメールをうつ私は巨悪か?巨悪なんだろう、きっと。なにができるのかさえも分からない。リサイクルとよばれている行為すらも、小沢くんに言わせると巨悪のひとつらしかった。ちょっとうまく表現できないけれど。
その上映が終わって、休憩を挟んで、小沢くんとのディスカッションの時間が設けられていたけれど、とんでもなくいたたまれなくなって、会場を出た。半分とまではいかないけれど、思っていたより多めの人がそこで会場を後にしていた。
たしかに問題を知ることはとても重要なことだと思う。知らなかったで済まされることはない。ただ、私は、小山田くんとかわいいわるだくみを考えたり、スチャといっしょにニコニコしてブギーバックを歌ったり、Mステでやばいテンションでラブリーを歌ったり、そういうことをしていたころとまったく変わらない顔で、立つ位置をガラリと変えてしまった小沢くんにとても混乱していた。能天気に「いちょう並木のセレナーデとかやってくれそうな季節だもんなー」と考えていた自分を恥ずかしく思う、そのことが悲しかった。複雑すぎる。
どうして小沢くんがそういうことを考えるに及んだのか、その説明もまったく無かった。ディスカッションまで残っていれば、なにか鍵がつかめたのかもしれない。
でもね、その日、そこに集まった人たちはきっと、きっとわたしとおなじ気持ちだったと思うんだ。あの小沢健二だよ?映像に生の演奏をつけてくれるんだって、、、そういう、商業音楽よりの気持ちだったと思う。小沢くんの名前が、まったくのインフォメーション無しの上映会でもROOMSに満員の120人を集められたんだと思う。
率直に、裏切られたと勝手に思っている。小沢くんの名前をみんなどうやって知ったんだろうか?環境問題に取り組んでいて、そこで小沢くんという人が同じように環境問題を扱っていて知ったのか。そんなことはないだろう。巨悪の音楽業界から送り出された作品を聴いて、小沢くんのことを知ったのだ。小沢くんのことを、小沢くんの作る音楽を好きになったんだ。
メディアへの露出を一切しなくなって、彼は以前のような音楽活動をしてくれないのかなと渇望するファンは多くいると思う。そこでこの上映会。全国を回るというじゃないか。情報を手に入れたら喜んで行くだろう。でもそこには、南米問題をとりあつかい、過去のことなんかまるで無かったことにしている彼がいる。
私は無学で浅はかだ。自分が1日を生きるのに必死だ。目の前に山積している問題や親の病気に向き合うことで精一杯だ。そんな問題からすこし離れて息抜きしたいときにiPodから流れてくる音楽に涙を流す。ああ、この人たちがこうして歌ってくれているなら、生きることにもまだ希望が持てる。携帯に届くメールで、後生大事にとっておきたいと思える一言がつづられていて、このひとがいるなら、単純で陳腐だけれど、明日もがんばれるんじゃないかな。
そう思うことをすべて否定された気がした。そういう意図があったかどうかは別にして。
ひとつ、自分の過去にさよならをつげなきゃいけないみたいだ。







